2006年7月6日配信の「小泉内閣メールマガジン251号」に次の一節があった。
『私は、若い頃見た映画「真昼の決闘」の中で、たった一人で、正義のために勇気を持って、4人の無法者に立ち向かうゲーリー・クーパーの姿に、アメリカを重ね合わせることがあります。しかし、あの保安官ゲーリー・クーパーとアメリカの間には大きな違いがあります。アメリカは一人で悪に立ち向かっているわけではありません。常に同盟国、友好国とともにあります。そして日本はアメリカとともにあるのです。』
『日本はアメリカとともにあるのです』。小泉首相が先日米国を訪問した際にホワイトハウスで開かれた晩餐会でのスピーチの中の発言であり、米国の立場を慮り、また、日本は米国の同盟国であることを鑑みるとこのような表現になることも当然と言えば当然だけれど、どこか違和感を覚えるのは僕だけではないだろう。米国は日本とともにあるのだろうか。
私が通っていたロンドンの某国際関係の先生たちは、日本よりも近いだろう米英関係とは、まるで無縁のような発言をしていました。例えば、「アメリカのイラク戦争は‘lack of moral’だ」とか、「現ブッシュ政権には気をつけろ」など。フラットで友達になったアメリカ人ですら、「日本はもっとアメリカから自立すべきだ」とのコメントをもらいました。リップサービス以上に、一国としての‘sovereignty’や‘self-determination’を示して欲しいですね。
投稿情報: Hitomi O | 2006-07-09 10:41
日本の有識者の間でも米国警戒論が多数を占めていると思うけれど、政治レベルになると反映されず、それは英国においても同様なのはご承知の通り。ただ、日本の自立のためには安全保障を根本から見直さないとならないから、簡単な議論ではないことは明白だ。
これを踏まえても、「日本はアメリカとともにあるのです」には違和感を覚えてしまう。
投稿情報: Shibuya | 2006-07-09 11:03
同じネタだ・・・。w
政治問題って、言い回しによって、考え方や捉え方が違うんだね。
投稿情報: ゆみこ | 2006-07-09 23:01
そうやね。でもそれって政治問題に限らないと思うよ。
投稿情報: Shibuya | 2006-07-12 00:48